平成25年度総会にあたって 関東安陵会会長 池田秀秋
本日ここに、屋村優一郎校長先生や丸田卯禮男安陵会会長を始め、多くのご来賓の ご臨席を賜り、ご参列の会員とともに素晴らしい会を催すことができましたことに対し、 衷心より厚く御礼申し上げます。 さて今年は奄美群島が日本に復帰して60年を迎え、現地はもとより全国各地で様々な 記念祝賀行事が行われております。 戦後、我が奄美群島は昭和21年2月2日(2.2宣言)、連合軍最高司令部(GHQ)の 覚書により、日本本土から切り離され米軍の統治下に入り、その2日後に本土と奄美の 交通・貿易・送金が禁止されました。これが所謂、祖国復帰運動の始まりになりますが、 昭和21年といえば私が生まれた年であり当時の様子は知る由もありませんが、提灯を提げて名瀬小学校の校庭に集まったこと、復帰当日、母が箪笥の奥に大事にしまって おいた国旗を取り出して玄関に掲げた時のことは子供ながらによく覚えております。 ”世紀の民族斗争”と云われた復帰運動といえば、現地における決起大会やハンスト、 血涙の署名嘆願などが有名ですが、東京を中心に先人が中央舞台で果たした役割の 大きさについては、あまり知られておりません。 苦節8年-本土に在る14万人の奄美同胞は打って一丸となり、文字通り寝食を忘れ 仕事をなげうって運動に没頭した。中央にあって現地奄美の斗いを常に支援激励し、 これに呼応して本土でも祖国復帰を広く国民各層に呼びかけて国内世論を喚起し、国 際的にも強く訴えて広範な国民運動にまで盛り上げ、これら内外に高まる声を背景に 中央政府要路とかけあって、遂に民族の悲願「祖国復帰」を獲ち取った。 つまりそれは、中央舞台に於ける主役の役割であり、現地の斗いと共に復帰実現の 二大原動力であった。 これは大中の右田昭進先輩が昨年末冊子発刊にあたって冒頭に記した一節であります。 それから60年が経ち、わが故郷は「奄美群島復興特別措置法」という手厚い法律の 後押しもあり見事復旧復興を成し遂げました。しかし一方では人口の流出により活力が 低下し、将来に対して一縷の不安と多くの課題を残しております。 島では今、群島が一体となり新たな成長戦略ビジョンを策定し、具現化にむけて様々な 取り組みを行っております。 復帰当時のことを知る語り部も少なくなってきた中で、そろそろ”戦後を総括し、未来に目を向けなければなりません”。そのためには、これまで普段議論に参加できなかった住民や老若男女が大いに議論できる場と環境を構築してほしいと思います。 島はお祭りムードが漂っていますが、然し浮かれて踊ってばかりではいけません。 こういう年こそ、島と本土の郷土出身者が心を一つにして島の産業発展に寄与すべき だ”と思いますし、安陵の先輩諸兄の英知にも期待したいところであります。 母校を卒業し首都圏へ進学される生徒の数も、ここ数年めっきり減りました。 実に寂しい限りでありますがこれが島の現実であり、こうしたトレンドを我々はただ看過 していいのでしょうか。変化の裏に十数年先の問題解決の重要なヒントが隠されている 気がいたします。 末筆になりましたが、昨年の暮れ、安陵会本部丸田会長から「母校安陵創立百十周年 記念事業に寄せられた寄付」の中から”支部の活性化(絆形成)に役立てて下さい”と過分なるご厚志を賜りました。母校並びに本部を支援すべき立場にあるべき当局ですが、 ありがたく受納させて頂きました。大切に使わせていただきます。 終わりに、母校と安陵会の発展並びに本日ご列席の皆様の益々のご活躍とご健勝を 祈念申し上げ挨拶と致します。